雷神から龍神へ 賀茂の神 龍の都へ
京都の下鴨神社、上賀茂神社つまり賀茂社には、平安時代の初期に起こった薬子の変という乱が影響したといわれます。
薬子の変?くすこのへんと読みます。
ちょっと歴史のお話を・・・なるべく簡単に。
桓武天皇の後、平城上皇(兄)と嵯峨天皇(弟)の間で起きた戦いが薬子の変で、藤原薬子は、平城上皇の愛妾で、兄の藤原仲成とともに謀反の罪で討たれたとされます。
つまり天皇家の兄弟げんかで、兄(平城)側の兄妹である薬子、仲成が討たれた話。
この変で、弟の嵯峨天皇は賀茂の神に先勝祈願を行い、その結果、勝利したために、さらに賀茂社を信仰したとされます。
これは、伊勢の神を拝んで、壬申の乱に勝利した天武天皇(大海人皇子)の行動と同じです。
そして、伊勢では斎宮、賀茂では斎王という共通点も生まれています。
賀茂社はこのように、伊勢神宮と並ぶ大社となり、そこで祀られる賀茂の大神つまり賀茂別雷大神は、特別な雷神として崇敬されたのでした。
雷神は龍神、まさに龍の都にふさわしい大神として、平安京を守ったと思います。そして、その龍神がいるのが、京都北山と呼ばれる貴船や鞍馬、雲ケ畑や静原、大原など京都の北部、洛北の地だったのです。
その洛北の地は、賀茂川や高野川の源流がある水を生み出す地でもあったのです。
賀茂の神が守る聖なる場所を、龍(おろち)というキーワードで旅してみませんか。
龍の都へ 京都ツアー