絶景!神さんぽ 龍の都へ
2年半前に、フジテレビのバイキングという番組の「小藪の神さんぽ」という神社を巡るコーナー(約30分)に出演させて頂きました。
「神さんぽ」というネーミング、神々がおられる場所を散歩するという意味と
神々と共に散歩するという意味の
二つの意味を含んでいる(私の考えですが)なかなか素敵な名前だと今でも思っています。
その「神さんぽ」に「絶景!」を付けて、「絶景!神さんぽ」。
神社の境内へ行くまでの景観の移り変わりに感動する
神社の境内の空間美を堪能する
神社と景観のコントラストを体感する
こんなテイストのガイドツアーも面白いかなと私は考えています。
ちなみに、絶景を見るためのルールを考えてみました。
【絶景を眺めるルール】
山・・山は、里(もしくは岡)から眺める
川・・川は、下流から上流を眺める
森・・森は、森の樹木から上空を眺める
池・・池は、水辺から池の周囲を眺める
谷・・谷は、山を見つけ水の流れを眺める
そして、社(神社)
社・・社は、その境内の空間美を眺める
眺めるといえば、高いところから低いところを眺めるのがいいと普通は考えますが、敢えてそれはしません。
なぜなら、古代の人々は、高い場所つまり山上は神々の地だと考えていたからです。ちょっと古代の人々と同じ目線で、絶景を堪能しようと(堪能していただこうと)思います。
そう、テレビでも語ってたように、山を拝むために神社(鳥居)はある!のです。
報道番組ワンダーから
龍の都へ 京都ツアー
出雲がつなげる神と人の縁 龍の都へ
人と人の縁というのは、不思議なものです。結ばれたり切れたりを繰り返し変化していきます。あるいは、ずーっと続く縁もあったり、全く縁がなかったり・・・様々です。
それは、まさに神のみぞ知るということで、縁結びのご利益が生まれ、縁結びの神社が人気があるのです。
さて、縁結びの神社といえば全国的な知名度といえば、やはり出雲大社(いずもおおやしろ)ですが、これは近年の風潮だと言われています。現在は、あの神様の中でもモテ男神である大国主命(おおくにぬしのみこと)が祀られていますが、幕末まではあのスサノヲノミコトが祀られていました。(下の写真は、元出雲 京都の出雲大神宮)
古代には、大国主命でしたが、長い間、祭神が変わり、再び復活したわけです。と同時に、現在見ている出雲大社は、いろいろと近年になって変化した神社でもありますが、それはまた後日。
さて、その縁結びの神社ゆかりの出雲の人々が、京都で平安京以前に活躍していたことは、あまり知られていません。
渡来系の秦氏は有名でも、出雲氏といえば島根県の出雲でしょうというのが、一般的な感想です。
でも、この出雲氏、元は奈良の三輪山山麓にいて、のちに京都へ移動し、さらに出雲へ追いやられたという説があります。その他、様々な説があります。
京都には、亀岡(出雲大神宮)、上高野(伊多太大社跡)、出雲路(幸神社・下鴨神社など)と、その痕跡が残る場所が点在しています。
こういう痕跡を見つけて意識していくと、神社での面白い発見があるのです。そして、それは、神々との長い縁結びの始まりとなります。
龍の都へ 京都ツアー 龍蛇神を祀った出雲族の痕跡を辿って・・。
龍(おろち)の景色 龍の都へ
最近は、景色や絶景のブログ記事が多いですが、実はそれには意味があります。
それは、その景色や絶景を作り上げたある痕跡(大地の記憶)と龍(おろち)に深い関係があると確信したからです。そして、その風景は、龍蛇を信仰する、ある有名な古代の氏族とも深いつながりがあると感じたからです。
もちろん、このことは、日本全国でも同じことがいえますが、京都はそれが特にわかりやすい場所だと私は思っています。
これからは、景色の中に、人々の象徴や災害の記憶そして神々の来歴といった痕跡を見い出し、わかりやすく伝えていこうと思っています。このブログでもガイドツアーでも。
また念のため再度言いますが、私のガイドツアーは、いわゆる観光テイストではありません。目の前のこと、本やネットに載っていることは、あまり話しません。(もちろん、観光ツアーも素晴らしいと思っていますよ、念のため)
それから、スピリチュアルテイストでもありません。風が吹いたら神様が喜んでいるというより、風が吹く場所に人々が神社を建てたという視点でご案内します。
その景色(絶景)に感動して頂き、なぜ感動するのかということを、正しい知識でお教えします。ちなみに、正しい知識とは、私の場合、民俗学です。
まずは、この景色から始めていこうと思います。ブログでは、何回か登場している絶景、水や火、川や山に、龍(おろち)つまり神々の姿を見い出せる場所なのです。
秋からのツアーご期待ください。
龍の都へ 京都ツアー
上賀茂神社の空間美 龍の都へ
現在は、上賀茂神社といえば、下鴨神社と合わせて、下上の賀茂社の一社として知られています。つまり、一組の神社です。
しかし、別々の神奈備山(神山と御陰山)があったり、別々の神事(御阿礼神事と御陰祭)があったりと
二つのお社は、元は別々な社であった可能性が高いです。とはいえ、そういう歴史的な話はおいといて
上賀茂神社は、広々とした空間を境内で体感できるお社でもあります。参拝すると、この空間美に癒されます。
この空間美は、背後の片岡山や様々な社殿群から生み出されたものだと私は思います。
そして、上賀茂神社の神奈備山である神山が境内からも遠望できることもポイントです。
山を仰ぎ見れる神社、その点が重要なのです。(写真の左奥に見える山が神山)
さて、この上賀茂神社は、賀茂川の河畔に位置しています(現在は少し川から離れていますが)。その賀茂川に架かる御薗橋は、現在大規模改修中ですが、
大宮の渡しとも呼ばれていた歴史があり、賀茂祭(葵祭)の勅使を通す臨時の橋でした。臨時の橋ですから、祭事が終われば取り壊すわけです。
実は、この橋付近から眺める景色も、なかなか素晴らしいです。そして、川の流れや遠くに見える山を堪能できる場所なのです。
ちなみに鴨たちがよく泳いでします。
龍の都へ 京都ツアー 観光ガイドとは違うふかーいテイストで神社をご案内します。
雷神から龍神へ 賀茂の神 龍の都へ
京都の下鴨神社、上賀茂神社つまり賀茂社には、平安時代の初期に起こった薬子の変という乱が影響したといわれます。
薬子の変?くすこのへんと読みます。
ちょっと歴史のお話を・・・なるべく簡単に。
桓武天皇の後、平城上皇(兄)と嵯峨天皇(弟)の間で起きた戦いが薬子の変で、藤原薬子は、平城上皇の愛妾で、兄の藤原仲成とともに謀反の罪で討たれたとされます。
つまり天皇家の兄弟げんかで、兄(平城)側の兄妹である薬子、仲成が討たれた話。
この変で、弟の嵯峨天皇は賀茂の神に先勝祈願を行い、その結果、勝利したために、さらに賀茂社を信仰したとされます。
これは、伊勢の神を拝んで、壬申の乱に勝利した天武天皇(大海人皇子)の行動と同じです。
そして、伊勢では斎宮、賀茂では斎王という共通点も生まれています。
賀茂社はこのように、伊勢神宮と並ぶ大社となり、そこで祀られる賀茂の大神つまり賀茂別雷大神は、特別な雷神として崇敬されたのでした。
雷神は龍神、まさに龍の都にふさわしい大神として、平安京を守ったと思います。そして、その龍神がいるのが、京都北山と呼ばれる貴船や鞍馬、雲ケ畑や静原、大原など京都の北部、洛北の地だったのです。
その洛北の地は、賀茂川や高野川の源流がある水を生み出す地でもあったのです。
賀茂の神が守る聖なる場所を、龍(おろち)というキーワードで旅してみませんか。
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かんなびな景色 川から山へ 龍の都へ
古代、神社には建物がなく、川で禊をし、山を眺め拝んでいました。そういう川を神奈備川、そういう山を神奈備山と呼ばれました。神奈備とは、かんなびと読み、「神のほとり」という意味です。
神奈備山という言葉はよく知られていますが、神奈備川という言葉は一般的ではありません。でも
「神のほとり」と「川のほとり」という言葉があるように、「ほとり(畔)つながり」ですから、
やはり、川はとても重要なのです。
京都の場合、それはとてもはっきりしています。例えば、古代、京都の地に勢力があった賀茂氏(カモ氏)は、
桂川と鴨川の合流点にまず居住し、さらに賀茂川と高野川の合流点から上流を目指し、そして、御手洗川と御物忌川の合流点に到達したとされます。
つまり川を遡ることがとても重要なのです。では、なぜ川を遡っていったのかという疑問がわきます。下っていくのではなく遡っていったのかです。
その答えのヒントが、神奈備山、つまり山の存在です。その山が景色の中に見えていたと私は考えます。
実際、京都の南部から京都の北山方面を眺めると、東北に比叡山、西北に愛宕山が眺められ、高原のような丹波山地の山塊が観れます。とても絶景で、南のほうからやってきた古代の人々も、その山を目指していたのが実感できます。(写真は、嵐山から眺める比叡山方面)
つまり
京都は、その神奈備川と神奈備川の間に社があり、神奈備川の上流に神奈備山がある場所です。そして、その川と山の間に、古代から人々が眺めてきた素晴らしい景色があるのです。
そういった素晴らしい景色を眺めてみませんか。
龍の都へ 京都ツアー
五つの山に火の霊力 龍の都へ
京都では、8月16日の夜、五山送り火が行われます。「大」「妙法」「舟形」「左大」「鳥居形」の五つが、それぞれの山に灯されます。
「大文字」 (大文字山(如意ヶ嶽。20時00分点火)
「松ヶ崎妙法」(西山と東山。20時05分点火)
「舟形万灯籠」(船山。20時10分点火)
「左大文字」 (左大文字山。20時15分点火)
「鳥居形松明」(曼陀羅山。20時20分点火)
山に火が灯されるというこの五山送り火の行事は、仏教の行事ですが、山と火の関係を考えると、興味深いことが考えられます。
火(ひ)は霊(ひ)つまり、霊力を表します。それは、山の霊力を表すのです。
山の霊力は、オ(尾根の尾)ロ(~の)チ(霊力)、つまりオロチです。オロチは大蛇、つまり蛇神を表します。
そして、火は、そのオロチからほとばしる血を表すとされます。
山に火を灯すとは、オロチ(山)の血がほとばしっている状態、つまり大いなる生命力があふれ出している、そんな状態です。
龍(オロチ)の都、京都の五山に灯される火、それは、民俗学的に捉えると、山(オロチ)のほとばしる生命力を表すと私は考えます。
夏に行われるこの火の行事、火だけでなく五つの山(如意ヶ岳・西山と東山・船山・左大文字山・曼荼羅山)を意識して観ると、面白い気付きが生まれると思います。
龍の都へ 京都ツアー