女性の象徴へつながる土偶 龍の都へ
JOMON(縄文)の続きです。
JOMON(縄文)時代をテーマにした展覧会やテレビ番組に登場した土偶。豊穣への祈りと大地の象徴です。
こういった土偶は、見た目のとうり、人を表します。そして、人でも女性を表すのです。
古代から、女性は何かに見立てられた象徴です。ちなみに男性はほとんど兵士(戦士)です。兵士(戦士)は、愛する人のために戦う象徴なのです。ですから、特徴は現れにくいと私は考えます。
神話の世界の神も仏像として表される仏も、信仰の象徴であり、やはり人型(ひとがた)をしています。私は、神社ガイドですから、神々の象徴で少し説明してみましょう。
例えば、女神、女性の神さまです。女神は、山の象徴であったり、川(水)の象徴であったり、海の象徴であったりします。そして、それらをすべて含めて、大地の象徴でもあるんです。
日本では、太陽の象徴も女神ですね。そう、天照大神です。(ちなみに、天照大神が伊勢神宮の神として太陽の象徴になったのは奈良時代以降ですが)
女性は、女神であると同時に、古代、巫女でもあったことが重要です。そして、それは現在の私たちの象徴と呼ばれるものにつながります。
ちなみに私が提案している女性の象徴は、左の四つです。詳しくは、過去ブログをお読みください。(カテゴリーの五つの象徴)
龍の都へ 京都ツアー
JOMONへのタイムスリップ 龍の都へ
東京の国立博物館で、「縄文」をテーマにした特別展をやっています。
そして、それに関連してNHKの歴史秘話ヒストリアで縄文時代をテーマにした内容で放送がありました。
最近は、縄文ブームだそうで、特別展も大盛況だそうです。NHKの歴史秘話ヒストリアもなかなか面白い切り口から放送していました。ということで、その内容と感想を書こうと思います。
テーマ的には、月と再生と蛇です。もちろん土偶や縄文式土器や縄文の集落についての紹介もありました。実はそれらも、このテーマに関連しているのです。
日本は、太陽信仰が中心の国です。天照大神という太陽神、日の丸という国旗、ヒメとヒコを日女と日子と書くということ、ご来光を拝む風習・・など太陽信仰が色濃く表れています。
しかし、世界的には月への信仰がメインで、国旗の数にも表されていますよね。灼熱の太陽より癒しの月への信仰。最近の灼熱の日々を経験すると、太陽より月というのが納得できます。
番組では、そういう月を再生のシンボルとして捉え、崇拝していた縄文人の姿が、リアルに描かれていました。約1万年前の時代です。
そして、その再生のシンボルが月以外に、蛇であり、蛇は縄文の縄につながっていくという流れで番組は進行していきます。
面白かったのは、月の水(実は夜露)を縄文式土器に溜めて、その水を死者にかけて再生を願うというシーン。水の霊力しかも月にあると信じていた水の霊力を、古代の人々は、こういうカタチで信じていたというのが興味深かったです。
縄文の人々は、もちろん京都にもいました。京都ではあまり目立たない磐座が、それを証明しています。
龍の都へ 京都ツアー 古代へタイムスリップすると見えてくる!本物の京都が!
かめまるも大喜び! 龍の都へ
鉄が採れるパワースポットの続きです。京都で鉄(砂鉄)が採れた場所、それは花背と亀岡です。今回のブログでは、亀岡にスポットを当てて書いていきます。
亀岡?意外と知られていない都市ですが、実はこの亀岡、京都よりずっと歴史が古いんです。ですから、元出雲、元愛宕、元稲荷・・と元社が集まっているのです。
しかも、世界的観光地である嵐山とは隣り合わせ(ひと山超えれば亀岡です)。電車だと約10分ほどです。そして、京都のプロサッカーチーム京都サンガFCのホームスタジアムである京都スタジアムが建設中で、さらに再来年のNHK大河ドラマの明智光秀ゆかりの地でもあります。
ですから、上記のように大盛り上がり。明智かめまる(イメージキャラ)君も大喜び。
さて、この亀岡の地、かつては、山背(山城)地方よりもずっと先進地でした。特に、元出雲と呼ばれる出雲大神宮には、その痕跡が数多く残っています。
巨大な磐座があり、綺麗な神奈備山である御影山がある。
さらに、重要なのは鉄(砂鉄)が採れたということです。これがポイントとなります。もちろん、桂川(大堰川・保津川)の存在も大きいです。
出雲の人々は、この亀岡の地で生活し、出雲族独特の文化と信仰を育んだのです。それが、やがて、平安京の誕生で、信仰の元地として輝いたのでした。
龍の都 京都の元地である亀岡、神社がなぜそこにあるのかというヒントを私たちに与えてくれる土地なのです。
ちなみに、亀岡の亀、かめまるの亀、その亀が蛇と絡むと玄武が生まれます。やはり龍とのつながりを感じます。
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鉄が採れるパワースポット 龍の都へ
このブログのタイトルである『龍の都 京都』。その龍(おろち)の痕跡を探るうえで、日本の古代氏族、出雲族(出雲の人々)の動きはとても大切だと思っています。
彼らの動きは、神社の立地にもとても影響を与えています。特に京都では、その影響が多いのです。
京都では、出雲族(出雲の人々)の痕跡がはっきりしているのは、出雲路と亀岡です。出雲路は、賀茂川右岸に広がる地ですが、賀茂川に沿って、上賀茂や貴船・鞍馬そして雲ケ畑へと地域的にはつながります。
この地域的つながりを、さらに北へとつなげていくと、花背という場所に行きつきます。
花背?はなせと読みます。全国的にはあまり知られていない場所ですが、京都の場合、林間学校やキャンプで行く場所として有名です。最近では、日本一の高さの三本杉がある場所としても有名ですね。
あの縄文杉の約2倍の高さですから、凄いですね。
さて、話を京都の出雲に戻しましょう。出雲族(出雲の人々)が活動している場所は、島根の出雲地方と似た場所であったと思います。似た場所というのは、あいまいさが残りますが、
水が豊富な川があること
円錐形の山があること
という地形的な特徴があげられますが、さらに言うと
龍蛇神への信仰があること
鉄が採れること
有名な出雲のたたら製鉄です。この出雲の鉄は、出雲族の動きにとても関係しています。そう、出雲の人々は、製鉄の民だったのです。
さて、では京都はどうでしょうかと考えてみました。京都で、鉄に関係する場所?そんな場所って聞いたことがないと思ったのですが、実は
花背と亀岡(元出雲と呼ばれる場所)で、砂鉄が採れるのです。(続く)
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上賀茂の特別なカミナリ様 龍の都へ
京都の神社でどこが好きかと尋ねられたら、上賀茂神社は外せないと思います。その理由は、
水の流れを体感できるということ。水の流れから水神さまを感じることが出来ます。
そして
その川に架かる結界のような橋の存在。多くの橋がある上賀茂神社は、その渡る前と渡った後では、参拝する気持ちが変化していきます。そして、
神聖な磐(磐座)の存在。古代の祭祀のカタチを彷彿させる岩(磐)の存在は、心が惹かれます。そして、
遠くに見える神様が降臨されたとされる神山の存在。上賀茂神社には、この神山以外にも、丸山や小丸山が神奈備山としてあります。そして、
その神奈備山にもカタチが関係する二つの立砂。この造形美は素晴らしいと私は思っています。そして、
片岡山を背景に、緑の囲まれた美しい参道。この空間美が、上賀茂神社の一つの特徴だと思います。最後に、
もちろん、桜門を含む本殿など建物群。朱塗りの色鮮やかな建物は、神々の建物を表現していると思います。そして、番外編。
住吉の神々を祀る岩本社。川のほとりにあって、個人的にはとても好きな場所の素敵なお社です。
上賀茂神社は、古代賀茂氏(出雲族の系統)のお社です。そして、雷神(龍神)を祀るお社でもあります。龍蛇信仰の中心地として、とても重要な神社なのです。
まさに上賀茂の特別なカミナリ様のお社です。
龍の都へ 京都ツアー 上賀茂神社も独自の視点からご案内します!
絶景!神さんぽ 龍の都へ
2年半前に、フジテレビのバイキングという番組の「小藪の神さんぽ」という神社を巡るコーナー(約30分)に出演させて頂きました。
「神さんぽ」というネーミング、神々がおられる場所を散歩するという意味と
神々と共に散歩するという意味の
二つの意味を含んでいる(私の考えですが)なかなか素敵な名前だと今でも思っています。
その「神さんぽ」に「絶景!」を付けて、「絶景!神さんぽ」。
神社の境内へ行くまでの景観の移り変わりに感動する
神社の境内の空間美を堪能する
神社と景観のコントラストを体感する
こんなテイストのガイドツアーも面白いかなと私は考えています。
ちなみに、絶景を見るためのルールを考えてみました。
【絶景を眺めるルール】
山・・山は、里(もしくは岡)から眺める
川・・川は、下流から上流を眺める
森・・森は、森の樹木から上空を眺める
池・・池は、水辺から池の周囲を眺める
谷・・谷は、山を見つけ水の流れを眺める
そして、社(神社)
社・・社は、その境内の空間美を眺める
眺めるといえば、高いところから低いところを眺めるのがいいと普通は考えますが、敢えてそれはしません。
なぜなら、古代の人々は、高い場所つまり山上は神々の地だと考えていたからです。ちょっと古代の人々と同じ目線で、絶景を堪能しようと(堪能していただこうと)思います。
そう、テレビでも語ってたように、山を拝むために神社(鳥居)はある!のです。
報道番組ワンダーから
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出雲がつなげる神と人の縁 龍の都へ
人と人の縁というのは、不思議なものです。結ばれたり切れたりを繰り返し変化していきます。あるいは、ずーっと続く縁もあったり、全く縁がなかったり・・・様々です。
それは、まさに神のみぞ知るということで、縁結びのご利益が生まれ、縁結びの神社が人気があるのです。
さて、縁結びの神社といえば全国的な知名度といえば、やはり出雲大社(いずもおおやしろ)ですが、これは近年の風潮だと言われています。現在は、あの神様の中でもモテ男神である大国主命(おおくにぬしのみこと)が祀られていますが、幕末まではあのスサノヲノミコトが祀られていました。(下の写真は、元出雲 京都の出雲大神宮)
古代には、大国主命でしたが、長い間、祭神が変わり、再び復活したわけです。と同時に、現在見ている出雲大社は、いろいろと近年になって変化した神社でもありますが、それはまた後日。
さて、その縁結びの神社ゆかりの出雲の人々が、京都で平安京以前に活躍していたことは、あまり知られていません。
渡来系の秦氏は有名でも、出雲氏といえば島根県の出雲でしょうというのが、一般的な感想です。
でも、この出雲氏、元は奈良の三輪山山麓にいて、のちに京都へ移動し、さらに出雲へ追いやられたという説があります。その他、様々な説があります。
京都には、亀岡(出雲大神宮)、上高野(伊多太大社跡)、出雲路(幸神社・下鴨神社など)と、その痕跡が残る場所が点在しています。
こういう痕跡を見つけて意識していくと、神社での面白い発見があるのです。そして、それは、神々との長い縁結びの始まりとなります。
龍の都へ 京都ツアー 龍蛇神を祀った出雲族の痕跡を辿って・・。