山は素晴らし、されど恐ろし
こんにちは、神社探究家の浜田浩太郎です。
今回は、山⛰について書きたいと思います。
近年、登山ブームです。インスタ映えする景色を求めて、老若男女、多くの人々が山⛰に登られます。
そして
痛ましい遭難も起きているのも事実です。
先日も、動画の生撮影で富士山🗻に軽装で登られた方が、撮影中に滑落してしまう痛ましい事故がありました。
山⛰は、素晴らしい場所ですが、やはり危険な場所なのです。
さて、登山ブームの現在ですが、昔は登山は、恐れ多い行為、あるいは修行でした。
山⛰に神々がおられ、しかも女神で
女人禁制も女神が嫉妬するからだと信じられていました。
山に登ることは、神々の領域を侵すことであり、山⛰の頂きに登るなどもってのほかでした。
現在でも、一部のご神体山では、登ることはできませんよね。やはり、そこが神々の領域だからです。
そして、山におられる神々は、春になると里に降りて来られます。それは、まさに春祭りの季節です。
そして
秋祭りの頃、山へと帰って行かれるわけです。
山⛰を畏怖し、崇敬する気持ちと
神々を畏怖し、崇敬する気持ちは
同じ感覚です。
この気持ちを忘れないことが、山⛰で楽しむ時に大切だと私は思います。
山は素晴らし、されど恐ろし なのです。
お朔日参り 鎮守の神々、守り神
こんにちは、神社探究家の浜田浩太郎です。
本日(11月1日)は、お朔日参りの日。
月に二回、神々にご挨拶し、感謝する日です。
どの神々にご挨拶し、感謝するかと言えば、
もちろん鎮守の神々です!
鎮守の神々?そうです!鎮守つまり、鎮め守ってくださる神々のことです。
ここで基本的なお話ですが、
あなたがご挨拶し、感謝する神々には
産土の神(うぶすなのかみ)
鎮守の神(ちんじゅのかみ)
そして
崇敬する神社の神
がおられます。
その神々のなかで、鎮守の神々が、まず参拝して(ご挨拶して)感謝する神々です。
鎮守の神々とは、現在寝起きしている場所から一番近い神社に祀られておられる神々です。
まあ、いわば一番近くで、あなたの生活ぶりを見てられる神々です。
ですから、挨拶と感謝は当然です。神々も人々も同じなんです。
ちなみに、この鎮守の神々は、引っ越しなどで、場所が変わると、変わります。
ですから
担当する神々が変わっていくわけです。
そして、
この鎮守の神々が発展したのが、守り神という考え方で、神社探究心の私のライフワークに繋がるのです。
最近は、物騒な事や災害などが頻繁に起こります。ですから、鎮守の神々や守り神の存在は、とても大切だと、私は考えます。
さあ、自分の守り神、見つけてみましょう!
災禍と神々を祈る
こんにちは、神社探究家の浜田浩太郎です。
沖縄の首里城が燃えたということをニュースで知りました。かなり、衝撃的ですね。
なんといっても世界遺産ですし、沖縄の顔ですから。
なんでも三十年もかけて復元工事をした矢先の今回の火災、まさに火の災いです。
以前、火のチカラと水のチカラ、火水でカミと書きましたが、
災禍は、この火水(カミ)からも生じるということも事実なのです。
千葉などの大水害も、火水(カミ)の水の恐ろしさを、改めて私たちに教えてくれました。
もちろん、この火水(カミ)は、神々とは直接的には関係はありません。
しかし、
この火水(カミ)を古代の人々は、神(カミ)として畏怖し、崇敬していたのも事実です。
そして、
神社⛩を作り、神々を祈ったのです。
神々「を」祈った!
この「を」が大切なのです。つまり、
私たち人が祈ることで、神々のチカラが増し、災いが少なくなる!そういうイメージです。
これは、
現代の私たちも同じだと、私は思います。
災害列島、日本。
令和になっても、災禍は続いています。
そういう状況だからこそ、神社⛩に参拝し、神々「を」祈ることが大切なのです。
そして
自身の欲の成就ではなく
神々に守られていることに感謝する!
これも大切なことです。
さあ、神社へ⛩参拝しましょう!
写真は燃える首里城。残念なことです。
人と神社の関係 探究は続く・・・
こんにちは、神社探究家の浜田浩太郎です。
今回は、私が現在提案して、探究していることの背景について書こうと思います。
それは
「人と神社の関係」です、一言で言えばですが・・・。
神社についての書籍やWeb記事や文献は、数多くありますが、そのほとんどが、
神社の紹介
神々の紹介
開運の仕方(まあ、これは微妙ですが)
などと、いわゆる金太郎飴状態です。つまり、どれもこれもが似たり寄ったりなんですね(笑)
まあ、よくこんな同じ内容を手を変え品を変え、掲載(出版)できるなあと感じています。
つまり
切り口が同じだから、金太郎しか出てこない金太郎飴状態ってわけです。
そこで、
神社探究家の私としては、神社を探究してわかったことを、ゆるやかにデータ化して掴んだわけですから
その切り口を
「人と神社の関係」にして神社(神々)にアプローチしていこうと考えました。
なぜなら、もちろん神々や、その神々がおられる神社のことは重要ですが、
私たちは、人として日々喜び、怒り、哀しみ、楽しんで(喜怒哀楽)生きているわけで、
その生きている人、つまり私たちと神社(神々)との関係(繋がり)には、どんな特徴があるのだろう?ということです。
それが
古代の人々が祈りを捧げていた守り神につながるのではという仮説もたてました。
「人と神社の関係」の探究は、まだまだ続きます。
ヤマトノオロチ 日本の大蛇
こんにちは、神社探究家の浜田浩太郎です。
龍の話が続いたので、蛇🐍の話を少ししましょう。
蛇は、龍蛇というように、龍と深い繋がりがあります。
龍🐉
蛇🐍
まあ、なんとなく似ていますよね。
しかし、古代の日本は、蛇への信仰が中心でした。
ちなみに、古代の神々は蛇体だったともいわれ、古代の人々の蛇への信仰の強さがわかります。
さて、その蛇🐍ですが、私が注目するのは、
絡みつく
という動きです。
絡みつくというのは、蛇🐍の身体の特徴をフルに使った、蛇特有の行動です。
蛇🐍は、絡みつくことで、獲物を捉え、仕留めます。
とぐろを巻くというのも、この絡みつくと似たような動きだと思います。
古代、大自然の中で、木々に絡みつく蛇やとぐろを巻く蛇🐍の姿を見て、古代の人々は、かなり怖れを抱いたと思います。
その怖れの気持ちが、やがて神々への怖れ、崇敬へと繋がっていったのです。
その気持ちが、やがて大蛇(おろち)、龍へと巨大化していきました。
つまり、神々の蛇体化、龍化は、こうしてなっていったのです。
日本で一番有名な蛇といえば、八岐大蛇。八岐大蛇は、ヤマタノオロチですが、ヤマトノオロチかもしれません。
ヤマトノオロチ、まさに日本の大蛇です。
龍のチカラ 稲荷のチカラ
こんにちは、神社探究家の浜田浩太郎です。
昨日の続きで、稲荷のお話です。先日テレビで、ナニコレ珍百景!という番組を観ていると、
北九州のある場所に
怖い般若👹の面を、家の外に掲げている家について
放送していました。
怖い感じは、番組で放送するほどではない感じはしましたが(夜は、まあ怖いかも)
それが掲げられた訳けがわからないほうが
怖いというか興味深い!そんな感じでした。
その訳けというのが、なんと
VS神社⛩
その神社⛩というのが、⛩⛩⛩⛩⛩⛩
お稲荷さん
家の目の前にある稲荷神社!
なんでも、住民のおばあちゃんが、生まれた孫たちが、家の前にあるお稲荷さんの強い気(パワー)にまけないようにという
想いから
般若👹(鬼)の面を家の外壁に掲げたらしいです。
面白いなぁと思ったのは、お稲荷さんには強いチカラ、しかも災いを起こしかねないチカラがあると考えられていたことです。
まあ、神々は、災いは与えませんが、確かに稲荷の神々は、強いチカラを持っておられます。
ですから
そのおばあちゃんも、信心から般若👹の面を掲げたのでしょう。
稲荷の神々の強いチカラの源は、やはり龍🐉のチカラ、龍神のチカラです。
古代から、人々は、その龍🐉のチカラを畏怖し、崇敬してきたのです。
たたら場の稲荷 龍が見えた!
こんにちは、神社探究家の浜田浩太郎です。
今回は、稲荷信仰についてお話します。稲荷信仰といえば、商売繁盛って思い浮かべる人が多いですよね。さすが、お金関係は思い浮かべやすい(笑)
でも
稲荷信仰は、もともとは五穀豊穣を祈る信仰だったのです。
だから
稲荷の神様のお使いである狐は、稲穂を咥えているわけです。お金を咥えているわけではありません(笑)
この五穀豊穣という農業の信仰が、商売繁盛というお金の信仰へと変化していったのには、ある理由があります。それは
都市化と貨幣経済
わかりやすく言えば、産業が変化していった、つまりお金が人々の間で大切になってきたということです。
農業自体もお金でなんとかなる!そんな感じでしょうか、ちょっと傲慢ですが・・・。
でもそのお金への信仰が生まれてきたベース(基礎)になるものがちゃんとありまして、
それは
金属への信仰です。金属への信仰というか、金属が作られていたわけです。
例えば、伏見稲荷大社。稲荷信仰の総本山ですよね。私もこの伏見稲荷を舞台に何度かテレビの神社ロケで芸能人の方々を一日ご案内したお世話になっている神社です。
この伏見稲荷、私には「たたら場」に見えます。「たたら場」?
そう、あの有名な映画「もののけ姫」にも描かれていた「たたら場」。たたら製鉄のたたら場です。
よい土があり、水があり、木材があり、交通の要所にあり・・・
稲荷山に登るとその痕跡がたくさん残っています。眼力社や薬力社も痕跡のお社です。そして、長者社には、磐座と刀のあり手水舎が・・・、もちろん、この手水舎の刀はイメージですが・・。
農業の信仰から金属への信仰、そして商売繁盛の信仰へ、そしてそこには龍神への信仰が隠されているのです。