私だけの守り神

こんにちは、神社探究家の浜田浩太郎です。このブログは、2020年から書籍とリンクしてスタートさせる、youtube「神社探究Tube」の素材ブログです。このブログを発展させ、「神社探究Tube」では、さらに詳しくお伝えしていきます。2020年4月スタート予定。

空間をつなぐ結界 龍の都へ

進撃の巨人」という人気のアニメがあります。NHKでも放送が始まった有名なアニメです。

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自らの生存のため、街の周囲に壁を作り、巨人たちと戦う壮大なモノガタリのアニメです。

 

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この街の周囲に壁を作るという考えは、西欧や中国などの発想で

 

日本にも城の城壁や豊臣秀吉が作ったお土居という壁はありますが、

 

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それらも、西欧や中国の影響を受けたものだと私は考えます。

 

これに対し、日本には柔らかな境界、段階的な境界が作られ、神社の場合、それを結界と呼びます。

 

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この結界は、空間を分けてつなぐことで生まれる境目であり、神社の場合、鳥居や楼門などがそれにあたります。鳥居や楼門といった人工物以外でも、この空間の境目は生まれます。

 

例えば、上賀茂神社の場合、川に架かる橋がそれにあたります。橋を渡るごとに、辺りの空気感が変わり、景色も変化し、まさに少しずつ神々に近づく、そんな感じです。

 

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それは、禊でもあり、流れる水の霊力を頂く、つまり龍(おろち)のチカラを感じることも表します。

 

上賀茂神社の場合は、参道が曲がりくねっていますから、特にそれを感じます。参道は、まるで、龍(おろち)が横たわっているような感じで、川の流れもその雰囲気を盛りあげています。

 

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誰でも入りやすい、しかし、そこに目にははっきり見えない、でも感じることができる境界がある、それがご神域への入り口なのです。

 

 

龍の都へ 京都ツアー

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直澄(ただす)の森の神さま  龍の都へ

最近はガイドツアーで下鴨神社をご案内することが多いです。夏の暑い時期でも、森の巨大樹と水の流れで、少しは清涼感を感じれるので、お客様には人気だからだと思います。

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その森は、有名な糺ノ森ですが、下鴨神社や河合神社を含む南北約1キロ、東京ドーム3個分の広さの森です。今でも、都市の森としては広いですが、古代はずっと広かった、つまり上賀茂神社から下鴨神社までは森が広がっていたといわれます。

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その森の中を水は流れ、水は大地を潤し、樹木を育て、森を作っていくのです。いわば、このあたりは湿原地帯と森林地帯が合わさった、鬱蒼としたジャングル京都(平安京)バージョンとでも言いましょうか・・。

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流れる川は池に注ぎ込み、池周辺にはまるで龍(おろち)を想像させる巨大な樹木を育みました。ちなみに、写真の巨大な樹木は龍(おろち)のようなご神木でしたが、最近残念なことに切り倒されました。(最近、下鴨神社さんはこういうことが多い!残念)

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水神信仰は、蛇神信仰から、やがて龍神信仰となっていきました。そして、清涼な湧水や水の流れは、「直澄(ただす)」という水の様子を表す言葉を作り上げていったのです。

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実は、糺ノ森は、古代からたびたび川の氾濫に見舞われ、水の恐ろしさにも直面してきた場所でもあります。

 

水への畏怖が作り上げた古代の信仰が、今でも残っている、そういう場所なのです。

 

龍の都へ 京都ツアー

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あなたはどの象徴? 龍の都へ

古代の人々は、物事をとらえる場合、何かに例えることが好きだったとされます。これは、信仰や祭りのカタチ、神々のカタチ(いわゆるヒト型:もちろん仏像の影響)などに表されています。

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私が、提案してきた人の象徴も、この例えの一つです。

 

独善独歩の象徴として、天狗

美麗魅了の象徴として、龍人

不可思議の象徴として、狐女

滅私奉公の象徴として、武士

良妻賢母の象徴として、弁天

 

人の象徴は、このようにゆるやかに分類されると私は提案していますが、これが神仏の象徴(姿)にも登場すると思っています。

 

そして、京都は、この象徴に合わせて神社仏閣が並んでいます。偶然か必然かはわかりませんが・・。

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天狗の象徴は、鞍馬

龍人の象徴は、下鴨・上賀茂・八坂

狐女の象徴は、伏見稲荷

武士の象徴は、石清水(男山)

弁天の象徴は、松尾・御苑

 

ざっとこんな感じです。京都(平安京)は、計画された都市ですから、信仰の場所もある程度計画されて作られたことも影響していると私は思います。

 

そして、人や神仏の象徴が、その場所の象徴となり、その場所独特の雰囲気を出しているからこそ、人々を惹きつけるのではないかと私は考えています。

 

五つの象徴については、カテゴリー「五つの象徴」をご覧ください。

 

龍の都へ 京都ツアー  秋のリクエスト、お待ちしています。

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龍蛇に彩られた隠れ国 龍の都へ

日本全国には、数多くの聖地があります。しかし、その大半は、人跡未踏の地や人がほとんど住んでいない場所、交通アクセスがとても悪い場所にあります。

 

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 しかし、京都の場合、比較的アクセスがいい場所に聖地は点在しています。このことは、とても大切でなのです。つまり、

 

多くの人々の営みが行われていたこと、多くの人々が行きやすかったこと、多くの人の祈りが捧げられたということ です。

 

そして、都があったことも、とても大切です。 都の近くにあったからこそ、その聖地の重要性は、輝いているといえます。

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そんな京都の地で、やはり洛北は、これまた特別な地、龍蛇信仰に彩られた地なのです。

 

京都洛北が龍蛇信仰に彩られた地であることの証明は、次の三点が挙げられます。

 

一つ目は、地形的特徴です。それは、まるでヤマタノオロチの如く、山々から複数の川が流れ、最終的に一つの川になるという地形です。

 

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二つ目は、出雲の人々の存在です。龍蛇神を祀る出雲の人々は、上高野、下鴨、出雲路などで暮らし、出雲と大和の中継地で活動しました。

 

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彼らの活動の痕跡は、見逃せません。

 

三つめは、神社仏閣の集まりです。鞍馬寺貴船神社志明院、御陰神社、下鴨神社など多くの有名神社仏閣がそれにあたります。

 

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京都全体から考えると、龍蛇信仰の濃さは際立っていると考えていいと思います。

 

洛北は歴史的に隠遁の地とも呼ばれます。人が隠れ住む、それに適した場所に、神々(龍蛇神)も隠れ鎮まっていたのでした。

 

まさに、そこは龍蛇に彩られた隠れ国なのです。

 

龍の都へ 京都ツアー

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古代の人々が眺めた景色を眺めよう! 龍の都へ

京都には、古代から多くの人々が信仰した神社仏閣や山々があります。

 

その神社仏閣や山々が、数多く見える場所が聖地、つまり人々が祈りを捧げた地だと私は考えています。例えば、


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京都市左京区にある三明院という真言宗醍醐派の寺院多宝塔からの景色。

 

ちなみに、写真の目の前にある小さな山が、出亀山。頭をぴょこんと出した亀みたいな山で可愛い。この山麓で育ったので、とても愛着がある山です。

 

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この多宝塔からは、神山(上賀茂神社のご神体山)愛宕山(京都北西の霊山)醍醐山(京都南東の霊山)氷室山(平安京の冷蔵庫)などを眺めることができ

 

眼下に、古代磐座にも関係する岩倉の地が見渡せます。

 

実は、この三明院の多宝塔の近くには、出雲族ゆかりの地、伊多太の森があります。


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龍蛇神、湧水の神を祀る伊多太大社(ご祭神伊多太大神)の旧祉がある森です。 

 

この伊多太の森も、高さは三明院の多宝塔よりは低いですが、同じ聖なる地を見渡せる絶景の場所です。ここで、出雲族が神事を行っていたのです。

 

こういった古代の人々が眺めた絶景を、kaminaview(かみなびの絶景ビュー、略してカミナビュー。私の造語です)と私はこのブログやインスタなどで紹介していこうと思います。

 

古代の人々と同じ目線で、眺め見て感じるのがコンセプトです。

 

ツアーでは、さらに深い内容でご案内します。

 

龍の都へ 京都ツアー   古代の人々が眺めた景色を眺めよう!

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北の山に棲む何か・・。龍の都へ

京都で、このブログのテーマである龍(おろち)の痕跡が一番残っているのは洛北です。

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写真:嵐山某所からの古代の人々も見たであろう景色 左に横高山 右に比叡山 手前    

   に双ヶ岡 そして左に衣笠山 

 

比叡山鞍馬山貴船山といった霊山がある洛北の地は、京都の中でも山紫水明の地であり、古代から龍神信仰(水神信仰や雷神信仰)があった場所でもあります。

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この洛北という名称は、洛東、洛南、洛西そして洛中とともによく京都を分けて呼ぶときに使われる言葉ですが、洛北自体はそれほど古い呼び方ではありません。

 

では、どのように呼んでいたか?それは

 

北山 です。

 

北山という呼び方、現在でも北山通や地下鉄北山駅などに残っていますが、

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そのあたりより北が、平安京の人々にとっては、北山でした。まあ、源氏物語にも、「北山のなにがし寺」という記述があり、その「なにがし寺」という寺は、北山駅より北の岩倉にある大雲寺とされていますが・・・。

 

洛北ではなく北山、北にある山々を都人は意識してそう呼んだのだと私は思います。そして、その北山に跋扈するのが、龍(おろち)たち。

 

鞍馬の火祭や石座神社の火祭など、その様子は私には火を噴く龍(おろち)に見えます。

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北山、北にある山々を古代から畏怖し、そこに何かがいると感じていたからこそ、龍(おろち)の伝説が残っているわけです。それが、龍(おろち)の痕跡であり、龍(おろち)の都たる所以なのです。

 

そんな龍(おろち)の都を一緒に歩いてみませんか。

日程リクエスト可能な京都の神社ツアー申し込みサイト

 

 

龍女が仕える龍(おろち)の都 龍の都へ 

縄文時代、神々と対話したのは女性でした。その女性は、ヒメと呼ばれ、祭祀を主宰し人々を導いたのでした。

 

その女性の周りには、ヒコと呼ばれる男性や多くの人々が集まり、祭祀に参加したのです。

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そういうヒメは巫女と呼ばれ、感覚が発達した女性だったのです。やがて、ヒメは神格化し、玉依姫(たまよりひめ:玉に依りつく姫)や卑弥呼神功皇后という名前がつくようになります。

 写真は、神功皇后(住吉の神々に仕える巫女の神格化)

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ちなみに脳科学では、脳の使い方に男女差があり、論理的で計算しがちな男性と感覚的で直観重視の女性におおまかに分かれるとしています。(もちろん、その逆の人もいます)

 

この女性のなかで、直観がとても発達した女性が、超人化し神格化するわけですが、私は、こういう女性を龍女(龍の娘)と呼んでいるのです。

 

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ですから、京都の賀茂祭(現在の葵祭)の斎王(現在の斎王代)も、まさに龍女だと私は考えています。見目麗しい斎王(斎王代)は、神に仕え、神を癒し、神の言葉(言霊)を伝える存在なのです。

 

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現在でも、そういう龍女的な女性はいます。例えば、東北地方のイタコや沖縄のユタなどがそれにあたります。あるいは、占い師の方々もそうかもしれません。

 

神々は、龍(おろち)であり、それに仕えるのが龍女。龍(おろち)と龍女の間にはとても深い関係があるのです。

 

京都は、そういう龍女を集めます。なぜなら、京都は龍の都だから。

 

龍の都へ 京都ツアー

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